2004-03-12 第159回国会 参議院 憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会 第1号
○平野貞夫君 そういうことで、私、河野議長に呼ばれて、余計なことを前尾議長に言うなと、もう仲直りしようということで二人が赤坂の料亭で食事しまして、正式の文書にはなっていませんが、手を打ったわけなんです。
○平野貞夫君 そういうことで、私、河野議長に呼ばれて、余計なことを前尾議長に言うなと、もう仲直りしようということで二人が赤坂の料亭で食事しまして、正式の文書にはなっていませんが、手を打ったわけなんです。
その中で、先ほど申しました前尾議長の言われるようなそういった使い分けというのはなかなか難しいだろうということが一つでございます。 それと、やはり河野議長の方の説得力があるところは、やはり民主主義の世の中で、しかも社会の中が非常に多様な価値観なり考え方がある。それをやはり一院だけですくい上げていくというのは非常に無理がある。
日本でも一九七五年前後、昭和四十八年、四十年代の末期ごろから、この二院制の在り方というのが非常に大きな論議になりまして、私、当時、衆議院の事務局にいまして三十三年ぐらい勤務したんですが、当時、衆議院の前尾議長の秘書をやっておりまして、参議院では河野議長さんがいらっしゃって、この二人で一院がいいか二院がいいかというのを大論争をやったことを記憶しております。
それで、前尾議長も経理局長だったですが、そこの会合に行くわけにいきません。会合の結果を細田、当時の経理局長だったですか、経験者ですが、前尾議長のところに報告に来ました。私はそのときに同席していました。ということで口を合わせておりますので、ないということを、よろしくという話を私は現場で聞いていました。深刻な顔をして前尾さんはそれを聞いていました。
しかし、そのとき、前尾議長が議長裁定をお出しになりました。その裁定に対して、与党も野党も大多数の党がそれで了解をいたしたのであります。議会制民主政治を守ろうとする政党であるならば、議長が下した裁定、あっせんあるいは見解、要請というものに対してイエスと言うのが、私はこの議会制民主政治を守るべき政党の任務である、かような信念を持っております。
ですから、当時の活躍された河野謙三議長も亡くなり、前尾議長も亡くなり、一番の当事者の田中先生も亡くなり、かかわった人というのはやっぱりこの裁判の最終行方については、それぞれの思いというものがそれぞれの立場であると思います。また、日本の司法制度そのもの、司法行政そのものの根幹にもかかわる問題であったと思います。
ロッキード国会において、前尾議長は、河野参議院議長と相はかり、各党の党首を議長公邸に招いて両院議長裁定を提示し、この事態をみごとに収拾されたことは、私どもの記憶に新たなところでございます。(拍手) 先生の著書「政の心」は、語源を通じて、政治の本質を説いたものでありまするが、「政」は、字源をたどれば正義と力の調和を意味し、換言すれば理想と現実の調和であると述べられております。
後で当時の前尾議長がえらく激励をしてくれましたが、まあそれは別として、そうならなければならぬと思うのですね。要するに、経済生活並びに経済体制なり経済組織の運営についての指導原理を変えなければならぬと思うのですね。古い組織のままに、古い考え方の上に古い生活方式の中で資源有限、低成長なんと言っても始まらないでしょう。
それは、昭和五十年の十二月二十四日、「金大中氏の自由、その他に関する質問主意書」というものを前尾議長を通じて内閣に提出をいたしました。その内容の一部分についての政府の回答書が納得できませんので、改めて御質問するわけでありますが、それは、私の質問書の中にこういうことがあります。 外国公権力の日本国内における行為について、次の点を明らかにされた。
○田澤委員長 次に、法制局長川口頼好君から、前尾議長あて辞職願が提出されました。 本件は、これを許可すべきものとし、その後任者には、現法制次長の大井民雄君を推薦することとし、議長において本日の本会議の承認を得て任命の手続をとられるよう、答申いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
本日出頭を求めておりました小佐野賢治君から、昨二十六日、前尾議長あてに、医師の診断書を添えて、書面をもって、病気のため出頭できない旨の申し出があり、議長より委員長に通知がありました。 この際、診断書を朗読いたします。
本日出頭を求めておりました小佐野賢治君から、去る八月二十三日、前尾議長あてに、医師の診断書を添えて、書面をもって、病気のために出頭できない旨の申し出があり、議長から当委員長にこの通知がございました。 この際、診断書を朗読いたします。
そうすると、私ども考えてみますと、この十一月十日というのは、現在のこの衆議院の議長、現在の衆議院の構成による前尾さんということでありますけれども、この前尾議長の在任中ということが一つ考えられる。それからもう一つは、それまでに解散、総選挙等の政治日程を終了して新しい院の構成の中で選ばれた議長が十一月十日にはすでに就任をしているか、このどっちかということになるわけですね。
本日出頭を求めております証人の児玉譽士夫君の妻児玉睿子君から、去る五月三十一日、前尾議長あてに、病気のため出頭できない旨の申し出があり、さらに六月一日、医師の診断書が提出されております。 また、証人福田太郎君からは、去る五月三十一日、医師の診断書を添付した書面をもって、前尾議長あてに、病気のため出頭ができない旨の申し出がありました。議長から委員長にそれぞれこの通知がございました。
ところで、前尾議長は無所属の議長であるのに、このリストによると四十八年の夏に五百万円、暮れには一千万円を裏金として受け取ったことになるし、わが名誉ある参議院の河野議長の場合は、同じく無所属のときに四十七年暮れに五百万円、四十八年夏にまた五百万円、四十八年暮れに一千万円裏金を受け取っていたということになって、これはもうまさかというふうな金額が衆参両院議長に対して送り届けられて、しかもそれが自由民主党の
そこで、ロッキード問題の徹底究明というようなことをめぐって二時間も議論して、それで「徹底」が入って、前尾議長は物を言っておられる。いずれ開かなければならぬ。その場所では属人的にもう少し突っ込んだやりとりをしなければなりませんが、捜査を担当されている方の側にお立ちになっている法務大臣であり、刑事局長でございますから、そこまで突っ込んだ議論をすることは、皆さんにとっては迷惑な話になる。
○大出委員 そうなると、この点は、議長サイドであれだけのやりとりをして、五党首会談まであって、かつまた口頭で前尾議長が物をおっしゃったりいたしましたが、これは四十七条そのものを取り上げておりますね。いまのお話はそれと違う。つまり、報告を聞いた、大臣の識見じゃない。
しかし、今日このように国会が正常な状態に移ったのは、議長裁定の四項の中にこの辺の事情を十分踏まえながら前尾議長も河野議長も、こういう非常にむずかしい問題があるからそれを超えてやりなさいと、こうおっしゃっているわけだから、そういう趣旨をどういったようように総理及び稻葉法務大臣がとらえておられるのか、理解できません。これがむしろ問題だ、こう言っている。
○上田耕一郎君 これを活字で読むのと実際に聞くのと大分違いまして、本当はここでかけたいぐらいなものなんですが、前尾議長も実際にこのテレホンサービスの中身を聞いて激怒された。私がその立場にあったら幹事長もやめるし、代議士もやめるというほどの問題だと議長が言われたのであります。それほどの大問題です。だから、あなたも活字で読むだけじゃなくて、共産党にもまだありますから、テープをお聞きいただきたい。
しかし、なかなかこれは――一方では、私あれを読んでみますと、後で申し上げますように、五十一年度予算案が特定の補正を要せざる期限に成立するということがやはり前提になっているようですからあれでございますが、なかなかわれわれとしては責任が重いわけですから、また前尾議長初め与野党の本会議の舞台回しをやられる方々に切にひとつお願いをしたいのであります。
そうしたら前尾議長、私の書簡を持っていったところで、それはある程度の陳情書ぐらいにしか扱われないじゃないか、外交権はしかも政府にある、だから外交ルートを通じて院の決議をもってしなければならないではなかろうか、こういうサゼスチョンもあって、この案文の決議になったわけであります。
なお、本日出頭を求めておりました児玉譽士夫君から去る二十八日、福田太郎君から去る二十七日、それぞれ前尾議長あてに、医師の診断書を添え、書面をもって病気のため出頭できない旨の申し出がありました。議長より委員長に通知がありました。 この際、診断書を朗読いたします。
なお、本日出頭を求めておりました児玉譽士夫君から、去る十四日、前尾議長あてに、医師の診断書を添え、書面をもって病気のため出頭できない旨の申し出があり、議長より委員長に通知がありました。 この際、診断書を朗読いたします。 診 断 書 児玉誉士夫殿 マル明・大・昭四十四年二月十八日生 一、病名 脳血栓による脳梗塞後遺症の急性悪化状態。